2012年2月16日木曜日

オーロラを求めてICELANDの旅 1

機内サービスのメニュウ
2月の始めにアイスランドへ行ってきました。
その名も 『氷の国』 北極圏の国です。
寒いところが嫌いな私にとって結構勇気を振り絞っての旅でした。
成田からコペンハーゲンで乗り継ぎ首都レイキャビックまで、家を朝8時に出てからホテルにたどり着いたのは夜11時。時差を計算すると、何と24時間・・・遠いい最果ての国です。
コレを云ったら 『ソウではない!始まりの国だ』 と云われたのですがその理由は後ほど。
成田からの空路は日本人乗務員もいる、退屈ではありますが馴染み有る国際線。
コペンハーゲンで乗り継いだスカンジナビア航空、気がつけば座席に Sage Shop Kitchen なるリーフレットがあります。
飲物に軽食いろいろあります。 『軽食のメニュウなんか気が利いてるなあ』 『待てよ・・・』 すべてに料金が書いてあります。ビールはISK(アイスランド・クローネ)900,6ユーロです。600クローネの安いのもある。
最近ヨーロッパ便は機内食が有料というのが有ることを知らなかった。
冷戦終結の会議場
有料なら、食べない飲まない。殆どの人が飲まず食わずの旅。不思議にも見えます。
アイスランドの第一歩は雨の空港でした。雪ではありません。 雨です。日本は大寒波というのにこちらは暖冬です。コレから先この天気・雨と曇りでイライラがつのることになるのです。

最終目的は 『オーロラを見る』 コトでありますがパックツアーには観光もあります。
レイキャビックではレーガンとゴルバチョフが冷戦を終結(198610月12日)させた記念の館で記念写真。
北極圏の太陽は力がありません。9時頃やっと明るくなり高くは登りません。夜も遅くいつの間にか日暮れになってしまう。そんな感じの太陽です。

国道1号線を通りレイキャビックの町を出るともう何もありません。
そんなことはないのですがその様に感じます。
プレート始まりの地
北海道と四国を足したくらいの広さの国、1号線は海岸に沿って国を一回りできる幹線ですが冬は南部の海岸線しか通れないようです。信号の全くない(大きな交差点はロータリ式)片側一車線の狭い国道。制限速度は何と90キロ。出会う車はほとんどありません。

氷河の中にあるプレートの割れ目、アルマンナギャウです。
北米プレートとユウラシアプレートがここから盛り上がり左右に分かれて地殻を形成している。つまりここが始まりの国という理由です。
と云うことは我が日本でこのプレートが沈み込んでいる。
日本が 『最果ての国か』


私の好きなポストの写真。北国らしく雪も積もっているが、北緯66°の国とは思えません。
観光PRでは 66°と云ってますがこの辺は最南部 63°くらいか?
心なしか、お印程度の雪がゆかいです。
それでも絶海の孤島(私の印象)、海は白波が立ち誰も寄せ付けません。
雨と波飛沫が視界を遮り次ぐ地殻にある岩も霞んでいます。
海岸まで行ってみましたが顔に当たる雨粒は氷のごとく、暖冬とは云え北国の冬は厳しい。
溶岩により形成された地盤。背の低い草のようなモノしか生えていません。
新しい溶岩にはこけが生え土壌が出来次第に灌木などになるようです。
しかし、火山噴火の頻度が多く地盤は安定せず更新が繰り返されているようです。

昔からの建築様式を残している木造の教会。
建物の下側に石積みがあり強風から教会を守っている。
手前の凹凸は何か?人為的な凹凸であることは間違いないのだが確認できませんでした。
石積みの脇には墓地があります。
この地で最古歴史を持つ教会

オーロラを訪ねてもう既に数日を費やしています。
オーロラには出会えません。
レストランのお姉さんは 『この間は全天が光って凄かった』 なんて云ってたんですが、雨と曇りの毎日、雲間から無用の月がたまに霞んで見えます。
昼間の観光はどうでも良いんです。バスの中では皆さん子守歌のようにガイドの説明を聞き殆ど寝ています。
何しろ一日に多い時は600キロも移動し夜には 『もしや』 と居眠り状態。
だんだん皆さんのご機嫌が悪くなっています。

1 件のコメント:

履歴書のテンプレート さんのコメント...

とても魅力的な記事でした!!
また遊びに来ます!!
ありがとうございます。。