ションベン横町はしょんべん横町が正しいのか?
どちらも正しくないと云うのが正しいようだ。
東京では新宿西口 『思い出横町』 というのが正しい。
ションベン横町は大阪、十三(じゅうそう)にも有るし他にもあるかも知れない。
一杯やってオシッコしたくなったら道端で(店にはトイレがない)と云う・オシッコをする横町。いつの間にやらションベン横町と呼ばれたのだろう。
前置きが長くなって恐縮だが、沼袋の御仁が狼煙に気がついたらしい。
早速久しぶりのションベン横町へ。久しぶりに行くから『思い出横町』か。
数年前に来た店は・・・しかし人が変わったのか?残念ながらくじらカツは昔の味ではなかった。
店を間違えたか! 新宿は鬼門だ。
でもそんなことはあまり気にならない。
何と無く自分になじんでいる。
汚らしくて怪しい雰囲気は変わらない、と書きたいところだが随分綺麗になって明るい雰囲気になっている。
もうションベン横町ではない。チャントお店にもトイレがあるし公衆トイレもある。
新宿西口から最近出来たユニクロ(UNIQLO)の角を曲がると『思い出横町』である。
いつ出来たのか始めて気がついたのが『旧青梅街道』の道標。
青梅街道は内藤新宿(新宿御苑の近く)で甲州街道から分かれ(追分)新宿駅にぶつかる。
小さなガードをくぐり西口へ。もちろん江戸時代にはガードはなかった。
納得!!
昔はこの小さなガードの脇(東口側)に都電【14】荻窪行きの駅があった。都電はここが終点ではなく追分(新宿3丁目伊勢丹付近)まで行ってたような気がする。
戦後まもなく。
追分までの都電が無くなり線路跡は花壇になっていた綺麗な新宿通りだった。
紀伊国屋の入り口には鉄道模型店があり足繁く通っていた。
紀伊国屋はもう少し駅に近かったと思う。
都電【14】荻窪行きはいつの間にか東口の小ガード脇が終点になり、やがて西口の大ガードの手前(西側)で終点になり、地下鉄丸ノ内線が開通し都電廃線の第1号になってしまった。
追分には有名な甘味処『追分だんご』があった。店は今でもある。
ある日、店を間違え『追分だんご』もどきをつまんでしまった。一緒に行ったあの人はそんなこと覚えていないだろう。
やはり新宿は思い出の町だ。
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