2013年5月25日土曜日

2013日本縦断、列車の旅

新聞のチラシかDMか、列車で稚内から西大山(鹿児島県指宿)まで駆け抜けるツアーの広告が気になっていました。
どこを見ると云うものではなく一日中列車に乗り続けると云う。考えてみればアホと云うかマヌケと云うかとんでもないツアーです。こんなもの行く奴いるか?と思いながらも気になりとうとう電話してしまいました。私も大アホです。ところが、予約はすでに満席、キャンセル待ちで何とか紛れ込んだのです。
私は鉄道好きではありますが”鉄ちゃん”と云われるほどではありません。
でもこんなところが気になるのです。
異車両の連結は東北新幹線では珍しいことではありません。秋田新幹線や山形新幹線がこの方式で走っています。
今回の旅は大宮が旅の始まりです。北へ向かって稚内までとりあえずひたすら走ることになります。
私たちは急ぐ必要有りませんが新幹線で新青森へ向かいます。

こんな写真つまらないでしょうか?新幹線のレールはコンクリート製の枕木にのってるのが普通ですけれどこのような床板に固定されてるところもあります。
折り返し運転の室内清掃中。
新青森からは海峡線・青函トンネルを通って北海道へ。現在工事中の新幹線も同じトンネルを通ります。
本州側には竜飛海底駅があり途中下車することが出来ます。ただし乗車前に途中下車手続きをしないと降りられません。
降りても海の底、水族館のようにマグロが見られるわけでもありません。トンネル内の見学ができます。
駅の外には出られませんから再び次の列車に乗ることになります。
50キロ程の青函トンネルを抜けると函館、長万部、岩見沢、を駆け抜け居眠りしてる間に札幌到着です。
高校生の修学旅行で初めて北海道に来た時、その後で来た時も、青森駅・青函連絡船の長い乗り換え通路を気が付けば乗換客全員が走って渡った記憶がよみがえりました。
大部屋ごろ寝で4時間ほどの船旅は場所取りが大変だったのです。
札幌中央バスも健在。
北海道には何回か来ています、でもこんなことを思い出したのは不思議。
大通り公園のTV塔は大きなビルに囲まれ凄くみじめに見えました。
札幌でこんなものを見かけました。
黄色い消火栓です。 消火栓は赤いモノと思っていたのですが。札幌で一泊。

宗谷本線に入り稚内へ。
稚内に近づく頃 車窓から利尻富士がその姿を見せます。雪はふもと近くまで残っています。
おテントウさまの大サービスです。
滅多に見えないので列車も徐行運転。そのため到着が遅れましたけれど誰も文句を言いません。稚内が終着ですから乗換の心配もないんです。

日本最北端の駅稚内に到着。
北緯45度25分。
戦前にはさらに北、樺太へ渡る連絡船ターミナル稚内本港駅が有った。
バスに乗ってそれを見に行こう。
駅の名残り防波堤で波を避けるように駅が有った。
防波堤の外側は海。
そしてこの最北の地には、今まで知らなかった氷河のなごりがあったことを。
稚内駅を後に指宿へ向かいます。
駅の標識に指宿まで3084キロの表示。実際には隣の西大山駅まで行くので3100キロ以上あると思う。
同じ道を札幌へそして寝台特急で青森へ。

寝台特急はまなす・結構古い車両です。
日本の鉄道では運行距離の関係か?その必要性が無いのか?寝台特急はどんどん廃止されています。
札幌(22:00発)から青森(05:39着)までゆっくり走っておよそ7時間半。普通に走ればもっと早く着きます。途中で列車も眠っていたのか長時間停車していました。
国鉄時代の珍品。耐久性の良いステンレス製ですがこれでは過去の遺物。
特急乗継で秋田、新潟、富山、京都へ。
富山付近は新幹線建設工事の真っ最中。
東北地方から東京を通らない新しいルートが育つかもしれません。
今日は京都で一泊。
せんとくんが奈良から出張してお出迎え!

出発! 京都から新大阪まで こだま で一駅。
新大阪から鹿児島中央までは九州新幹線で一走り。
指宿まで たまてばこ の愛称・不思議な列車。と云っても2両編成。
扉が開くとき煙が出ると云ってましたが煙はお休み。
白髪のおじいさんにならずに済みました。
内部はいろんなタイプの展望座席。予約しないと乗れません。
気になるトイレも広々ゆったり。
指宿のホテル前で勢揃いでお出迎え。
ホテルで一泊。明日は最終目的地、最南端の駅へ行きます。
ホテルのバスで送ってもらいました。
西大山駅・北緯31度11分。稚内駅・45度25分
稚内との緯度の差およそ14度。緯度1度はおおむね110キロです。と云うコトは約1540キロ・・・???
稚内駅には確か指宿まで3084キロと書いてあった。
線路は直線では無いし経度のずれもあるのでおよそ倍の距離になってしまうのか!!
駅にはこんな看板もあります。
最東端の駅、最西端の駅、東根室に佐世保。
この駅も行かねばならない。
また変なものを見つけてしまいました。黄色い郵便ポストが有るんです。民営化のお遊びでしょうか?
・・・・北海道には黄色の消火栓がありました。ポストや消火栓は赤と思い込んでいましたが他の色もあるのでしょうか???
いよいよ帰途につきます。
西大山駅に来た列車ははワンマンカーです。整理券が付いていたり不思議な感じです。
東京でも6両編成の地下鉄がワンマン運転なんですから不思議では無いのかもしれません。
九州新幹線のパンタグラフ付近、風の整流板が付いてます。
東京駅折り返し列車の5分で仕上げる車内清掃、見事なものです。
座席は自動で進行方向に回転します。

作業が終わると、ご挨拶!
荷物棚の天井は鏡になっているので荷物の置忘れがすぐに見えます。
間もなく大宮。旅の終わりです。
5日間の旅でしたが実乗車時間は6000キロ余りを約53時間で走り抜けました。
時間の記録を作るとかそんなことは全く考えずに20種の特急その他に乗り走り回りましたが最新の車両や老朽化の激しい車両など結構楽しい旅でした。

最後の新幹線風景はJR東日本・東京駅の様子です。
新幹線は東京駅以外JR各会社をまたいで直通運転をしています。
東京駅でJR東日本とJR東海とが頑なに改札を設け直通運転を拒んでいる。そしてそのことを云う人はあまりいないのか不思議に思います。
これから開通する、富山、金沢、近辺は東日本と東海の勢力圏が複雑に交差することが予想されます。勢力争いのツケ(不便さ)を乗客に回さないで欲しいです。

2013年5月12日日曜日

静御前の墓

天気が良かったので国道を下って栗橋の方へ行ってみました。
この付近の国道4号線はところどころ歩道がなくなり自転車にはとても危険な所です。自転車は車道へと云いますが鵜呑みにはできません。
栗橋町は最近の合併で久喜市となっています。利根川を越えれば茨城県です。
国道は面白くないので旧道へ回り込みます。

JRの栗橋駅の近くに『静御前の墓』がありました。
歴史に疎い私。いつものように説明は掲示板。*写真をクリックすると大きくなります。

駅前の道を南下して南栗橋、幸手、を通り帰途につきます。
幸手の中心地からわが家へはおよそ3㎞。
途中に有るこの案内板今までいつも素通り、日光街道の合流点です。
この自転車での散歩、2時間弱。20㎞程です。