クロアチアの旅は南部のダブロブニク(dubrovnik)を最後に帰途につきました。
南部の天気は曇りがちで寒くアドリア海の景色は・・・
早朝出発の飛行機は乗り継ぎが多く、ダブロブニク、ザグレブ、フランクフルト経由、それもフランクフルトの乗り継ぎには8時間近くの待ち時間が!
旅行会社の配慮でハイデルベルグまでのおまけツアーをしていただきました。
ハイデルベルグは20年ぶりの訪問です。
寒くて霧にけむる日でしたがその景色は20年前と変わらず、ネッカー川に掛かる石造りの橋は昔を思い出す私たちを迎えてくれました。
有名なワインの大樽も昔のまま。もちろん生ビールとソーセージにポテト、ザワークラウトは忘れずに頂きました。
ドイツは私の好きな国です。
ドイツの草原にはいたるところに季節外れと思える菜の花が盛りを過ぎ収穫を待っています。
フランスとの共同開発の新種でバイオ燃料の研究用と聞きました。
3.11以後ハッキリと脱原発路線を歩み始めている行動の早さに我が日本の動きがますます気になります。
数ヶ月前、カミさんが車の中で、高速道路の法面や休耕田を放置しないで菜の花でも植えればよいのにと云っていたのを思い出しました。
それが、ドイツのバイオ燃料研究を知ってのことか定かではありませんがたまには良いこと云うなあ!!
代替燃料を確保しなければ脱原発は出来ない・・・
2011年11月13日日曜日
CROATIA クロアチアへ行ってきました 2
物価が高いと云われるクロアチアですが、通貨はKuna(Kn)・約15円です。
これはガソリンスタンドの看板です。上からハイオク、レギュラ、軽油、灯油、と訳しても良いでしょう。
う~ん、チョット高いかな?
実は首都ザグレブから南下して景色の良いアドレア海の方へ向かっています。目的はもう一つ・まだ社会主義時代の様子が残り物価が安いと云われる隣国(ソ連時代は一つの国)ボスニアヘルツェゴビナへ。
ボスニアヘルツェゴビナのスーパマーケットは地下にあり一階はカフェでした。その店内。お客はまばら、気になるのはキャッシャーのおねえさん。
番台のような高いイスの上から監視?これじゃぁヒソヒソ話も出来ません。
写真とったら怒られるかと慌ててとったらピンボケ!失礼しました。
暫く前の中国の雰囲気でした。
さて目的のスーパーは。
観光客目当ての商品以外は閑散として地元の人も思いの外少ないようです。
買い物中のお客さんツアー仲間の日本人です。
釣り銭は投げてよこす。もちろん品物も同様。
もうこの国は社会主義ではないはずですが。
ボスニアヘルツェゴビナは2004年頃まで内戦状態で、その影響がまだ残っている状態でした。
この地域はロシアが地中海へ出るための要衝として統治下に置きたかった土地柄。本当の平和が来たのか心配です。(つづく)
これはガソリンスタンドの看板です。上からハイオク、レギュラ、軽油、灯油、と訳しても良いでしょう。
う~ん、チョット高いかな?
実は首都ザグレブから南下して景色の良いアドレア海の方へ向かっています。目的はもう一つ・まだ社会主義時代の様子が残り物価が安いと云われる隣国(ソ連時代は一つの国)ボスニアヘルツェゴビナへ。
ボスニアヘルツェゴビナのスーパマーケットは地下にあり一階はカフェでした。その店内。お客はまばら、気になるのはキャッシャーのおねえさん。
番台のような高いイスの上から監視?これじゃぁヒソヒソ話も出来ません。
写真とったら怒られるかと慌ててとったらピンボケ!失礼しました。
暫く前の中国の雰囲気でした。
さて目的のスーパーは。
観光客目当ての商品以外は閑散として地元の人も思いの外少ないようです。
買い物中のお客さんツアー仲間の日本人です。
釣り銭は投げてよこす。もちろん品物も同様。
もうこの国は社会主義ではないはずですが。
ボスニアヘルツェゴビナは2004年頃まで内戦状態で、その影響がまだ残っている状態でした。
この地域はロシアが地中海へ出るための要衝として統治下に置きたかった土地柄。本当の平和が来たのか心配です。(つづく)
2011年11月12日土曜日
CROATIA クロアチアへ行ってきました
クロアチアは最近女性に人気の国です。
ソ連崩壊で離脱独立した国です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%82%A2%E3%83%81%E3%82%A2
ヨーロッパの勢力争いに常に翻弄されていた国です。
20年前のソ連崩壊で平和な国になるはずでしたがその後も落ち着きを取り戻すまで多くの時間を費やすことになり『最近やっと』という感じです。隣国のボスニアでは未だに不安定な状態が続いています。
町は美しく重厚な石造りの歴史的建築物が建ち並んでいます。
ヨーロッパの歴史の推移を一挙に見られるような気がします。
首都ザグレブ市内には廃止され掛かったトラムも復活し網の目のように走っています。
いつものことですがトラムは観るだけでした。
地理不案内の私にとって切符の買い方や細かい駅名が良く解らずバス同様の難しい乗り物です。
たまに勇気を出して乗り込んでも目的の場所に行くことは出来ず一駅二駅乗って『乗った』と喜ぶのが精一杯です。
平和に見える町ですがよく見るとこんな景色に出会います。
この家の壁には未だ砲弾の痕が見えます。
戦争の傷跡はあちらこちらに残っています。
もっと激しく壊れまま全く手つかずの家も多数有ります。
こういう写真を載せてるサイトは少ないと思いますが観光ではバスも止まることが無く、残念ながらもっと悲惨な写真は撮れませんでした。(つづく)
ソ連崩壊で離脱独立した国です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%82%A2%E3%83%81%E3%82%A2
ヨーロッパの勢力争いに常に翻弄されていた国です。
20年前のソ連崩壊で平和な国になるはずでしたがその後も落ち着きを取り戻すまで多くの時間を費やすことになり『最近やっと』という感じです。隣国のボスニアでは未だに不安定な状態が続いています。
町は美しく重厚な石造りの歴史的建築物が建ち並んでいます。
ヨーロッパの歴史の推移を一挙に見られるような気がします。
首都ザグレブ市内には廃止され掛かったトラムも復活し網の目のように走っています。
いつものことですがトラムは観るだけでした。
地理不案内の私にとって切符の買い方や細かい駅名が良く解らずバス同様の難しい乗り物です。
たまに勇気を出して乗り込んでも目的の場所に行くことは出来ず一駅二駅乗って『乗った』と喜ぶのが精一杯です。
平和に見える町ですがよく見るとこんな景色に出会います。
この家の壁には未だ砲弾の痕が見えます。
戦争の傷跡はあちらこちらに残っています。
もっと激しく壊れまま全く手つかずの家も多数有ります。
こういう写真を載せてるサイトは少ないと思いますが観光ではバスも止まることが無く、残念ながらもっと悲惨な写真は撮れませんでした。(つづく)
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