2013年12月29日日曜日

東武野田線 運河駅

家の近くを走る東武野田線。東京の30キロ圏、東半分・千葉県の船橋から埼玉県の大宮までの間60㎞のローカル線です。明治時代から開発が始まり昭和の初めに開通した路線ですがいまだに単線運転をしています。複線化工事は最近やっと活発化したようですが全線複線化にはしばらく時間が掛かりそう。
そんな路線ですからレトロな雰囲気とモダンな景色が混在する不思議な空間が有ります。
その中の一つ、 運河駅 へ行ってきました。
【春日部駅の駅そば】
画像をクリックすると大きくなります。

野田線に乗り換える春日部駅。年末の土曜日(28日)の朝のせいか乗客はまばら。ホームにこんなラーメン屋が有るのは何とも懐かしい。写真のアングルが悪く一部残る木造のホームに気が付かないかもしれません。

  春日部から乗るのは柏行き。船橋行は皆無と云ってよいほど少ないのです。それは柏駅の船橋方面はスイッチバックになっているため列車本数が多い時間帯は直通運転が出来ないようです。
部分的に複線になっていますが単線区間に入ると心なしかゆっくり安全運転になるようです。
大宮から柏間は部分的に単線区間が有りますけれど10分間隔の運転です。これは単線運転では超過密ダイヤと云えるかもしれません。

運河駅到着
【利根運河】

運河駅はこの駅の西側で利根運河と交差しています。
橋の上からの景色は深い掘割の流れが普通の川では無いコトを感じさせてくれます。

舟運が盛んだった江戸時代銚子から荒波を越え房総半島を回って江戸に入るのは大変な航海だったようです。
この地域は江戸城開城に伴い最初に取り掛かった開発事業、利根川の改修に関連したもののようです。
改修は上流の関宿から銚子へ抜ける治水工事が始まりです。これにより房総半島を回ることなく関宿から江戸川を通り江戸へ抜ける航路が出来ました。


【土手の上の朝市】

しかしこのルートは浅瀬が多く大型船が通れなかったので明治になって、下流に利根運河が作られました。この運河を通れば海路より50㎞ほど近くなるようです。
今は陸上交通にとってかわられ実際には運河としての機能はありません。






【路傍の福の神】

その名残と云えばよいのか明治44年に千葉県営軽便鉄道、柏 - 野田町間が野田線の始まりです。近くを走るわずか6㎞弱の流山鉄道も当時の開発の名残りでしょう。
ところが、その後開通した総武本線により銚子東京間が数時間の距離になったため物流が変わり運河もその機能を生かすことが無くなりました。


【新駅舎・運河駅北口】

レトロな駅舎が見られることを期待していましたが複線化工事が進み最新型の駅舎に改築されていました。

2013年10月17日木曜日

一六銀行

一六(イチロク)銀行です。十六銀行ではありません。
話の本題は セブン(7)銀行 なんですが・・・・
最近コンビニなんかで見かけます。
銀行と云うよりATMだけ置いてあるコンビニのATMコーナみたいなものですがどうも私にはしっくりしません。もちろん石造りの重厚な店舗などありません。
名前から閃くのはセブンイレブンと同じ系列銀行です。
これは正解ですが私の頭には一と六で七と云う数字の印象から 一六銀行 が閃くのです。

幸か不幸か私は 一六銀行に口座?を持ったことはありません。
私の行く一六銀行には頭取はいません。
滅多にいない親父さんか、おかみさん、そして苦手なおばあちゃんがいました。
おかみさんから時々電話が掛かってきます。
『あれ!欲しいんだけど・・・今お父さん居ないからすぐ来て!』
狭い裏口からこそっと入ってお父さんが帰ってこないうちに引き上げるのです。
絶対に暖簾の掛かっている正面からは入りません。
でも、たまにはどうしても正面から入らなければならないときが有るんです。
リ~ン リ~ン 電話が掛かってきました。昔の電話はこういう音でした。
『すぐ来て オモテから来てもいいから』
『裏からは、はいれそうもないのでそうします』
頼まれモノを急いでまとめて・・・小うるさいお父さんが帰ってくると厄介なので!
荷物が多いし、目立つし・・・
案の定、裏口からははいれません。
暖簾をくぐって正面から、前が良く見えないほどの大きな風呂敷包みを持って入った途端!
『ダメだよそんなもの持って来たって、うちは小さいモノしか預からないんだから』
おばあちゃんのダミ声が響き渡りました。
だからオモテから入るの嫌なんです。
『これおかみさんの注文の品なんですけど』
おかみさんが気が付いてすぐに助け舟を出してくれましたので良かったのですが。
この家、一六銀行の暖簾には『〇に質』のマークが付いていました。
質屋のことを恥ずかしいので一六銀行と云っていた時代です。
セブン銀行は私にとって七屋(質屋)のイメージが強いのです。
やってる仕事は全然違いますけど!!

2013年10月13日日曜日

万世橋駅  こんな駅有ったかな??

万世橋駅へ降り立ちました。
万世橋・・・何線でしょうか??? 

私も知らない80年ほど前、中央線が万世橋で終点だったころの話です ?? ??
中央線もまだ別の名前だったかもしれません。
御茶ノ水駅と神田駅の間にそれほど大きくはないプラットホームが有ることに気が付いていた方も多いと思いますが・・・そうです昔、交通博物館が有ったところです。
交通博物館は数年前、鉄道博物館と名前を変え大宮に移転しました。
その跡地はJRのビルが建ちましたが古いレンガ造りの遺構はそのまま残されていたのです。
上に電車が走っているので簡単には取り壊しが出来なかったのでしょう。
駅舎の一部は交通博物館の展示室として使われていたようですがホームに出る階段もそのままの姿で残っていました。
遺構を残しリフォームして小さなショッピングモールが出来上がりました。
鉄道関係の模型店などが目立ちますが親子連れのお客さんが多いのは嬉しい限りです。
昔の駅の遺構ですからそんなに広くはなくこじんまりしています。
ホームに上がると汽車の食堂車のような・・・今風のラウンジカーでしょうか、メニューも多くはありませんが私にも溶け込めそうな空間です。

隣にあるラジオガーデンはあまりにも侘しい。これを足掛かりによみがえって欲しいものです。

2013年8月21日水曜日

カシオペアに乗るために北海道へ

JRに一編成しかない 寝台特急『カシオペア』 に乗るために北海道へ行ってきました。
知る人ぞ知る豪華寝台特急『カシオペア』です。
クリックすると画像は拡大されます。
大宮から出発・新幹線はやぶさです。
はやぶさ車両は豪雪対策で車輪がほとんど見えません。連結部分もしっかりとカバーされています。

今回の旅はカシオペアに乗るための旅ですが、北海道地方は集中豪雨で函館・札幌間が連日の災害で運休になっているのを承知での出発でした。

新青森からは海峡線で津軽海峡を渡ります。
2015年には新幹線がここを通ります。
この路線には 竜飛海底駅 と呼ばれる青函トンネル見学のための駅が有ります。これは工事のための施設を見学用に開放していたモノですが、来年から新幹線工事が本格化するため今年の11月頃までしか降りられなくなるとのこと。
さて、大雨だ、ゲリラ豪雨だと騒がれるなか、運良く行く先々で雨上がりの天気です。
函館山のゴンドラも相変わらず満員です。
一週間ぶりに晴れたと云ってました。
今回はいつも通過していた、ニセコや余市、積丹半島の先端神威岬まで行ってみます。
函館からは予定の特急がキャンセルになりバス旅です。
神仙沼、最近はやりの構図で カシャッ!
真似しても所詮未熟なウデ、水草が多くて美しくありません。
でも天気は最高です。

沼地の木道や案内看板も整備され西洋人の好む景色か、日本人より外国人が多く来ているようです。
美しい羊蹄山も良く見えました。こんなマンホールも有りました。
神威岬は先客のヒグマに遠慮して先端まではいけません。

岬の高台に不細工なコンクリート遺構が、何かのアンテナ基台と見ましたがその通り。
画像をクリックすると大きくなりますので説明はそちらを!
余市と云えばニシン漁で財を成したニシン御殿。
贅を尽くした素晴らしい建築です。
帆かけ船の鬼瓦が印象的でした。
驕れるもの久しからず・・・
運行が危ぶまれたカシオペアの車窓から大きな虹を眺め帰途につきます。
夜汽車の展望ラウンジは何か寂しげ。
旅の終わりです。

おや! カシオペアの印象は!
実は良く考えずに予約してしまったのが間違いの元。
ツインの個室はとても窮屈でどうやってベットを使うのかしばし考え歩く隙間もなし。個室にこだわったその結果か。何とも云いようがない。
ダイニングルームはいつも満席、予約なしでは時間切れ。ゆったり夜汽車を楽しむ雰囲気ではありません。通路も車内販売のカートが来ると通り抜けるのに一苦労。窮屈な個室から出ても通路には小さな座席もなく立ち尽くすのみ。
専用トイレと洗面台が専用だったのが唯一の慰め!!

鉄道事情に詳しい M氏 が 『最上位クラス以外はお勧めしない』 と云っていたのをすっかり忘れていました。
と云う訳で、カシオペアの話はありません。


2013年8月11日日曜日

地獄夜 (2013年8月11日午前5時30分)

いま(2013年8月11日午前5時30分)、私の部屋は32℃です。
暑いわけだ、外気温は28.4℃。一番温度が下がる日の出前後の時間帯でこの温度。
夜間の気温が25℃以上だと熱帯夜と云うらしい。
確かに25℃は境界線でこれ以下なら気持ちよく眠れます。
昨夜は、今年初めて寝室のエアコンを使って寝ました。設定温度は28℃。
これは私には滅多にないコト。
普段は夜になって温度が下がるか、暑くても1~2時間タイマーを使って使用するだけです。
この場合敢えて窓を開けておきます。窓を閉めておくとエアコン停止後急激に温度が上昇するのを避けるためですが防犯上は問題ありか。
寝る時の室温が何度だったか定かではないのですが34℃くらいだったと思います。
ちなみに10日の我が家での最高気温は39.1℃ 暑くて有名な館林では40度を超えたように聴いてます。
今日も既に燃えるようなお日様が上り始めています。40度を超える日が来るのもそう遠くはなさそうです。

ちなみに、
25℃以上の夜は熱帯夜。
30度以上の夜は何と云うのでしょう。多分熱帯地方でも夜間気温はこんなに高いことはないのではないか?前日の大阪地方の最低気温が28℃くらいだったと思います。
昼間の気温
25℃以上・・・夏日
30℃以上・・・真夏日
35℃以上・・・猛暑日  それ以上は知らない。
夜間の気温
25℃以上・・・熱帯夜  
このような呼称も追いつかないようで困りました。
はやく呼称を決めて! と云うべきかなやましい。
勝手に『地獄夜』と呼んでみました。

2013年7月25日木曜日

二国・・・第二国道は国道2号線ではないのだ!!

『一国 いちこく』 『二国 にこく』 と云う言葉・道路をご存知でしょうか。
ふと思い出した古い話です。
一国は国道1号線ではなく、二国は国道2号線でもないのです。
この言葉最近ほとんど使われ無くなったので知らない人が多いかもしれません。

実は、一国、二国と云う呼称は東京だけの話かと思っていたのですが関西にもこういう呼称が有ったようです。
『西宮文学全集』 http://www.k4.dion.ne.jp/~zensyu/ と云うサイトに雲黒斎草菜氏が書いていたので思い出しました。
*以下引用文
今は国道2号線と呼んでいますが、当時は阪神国道と呼ばれ、その道路のど真ん中に複線の一両編成の市電が東西に走っていました。
ちなみに阪神間には、『にこく』と呼ばれる国道もあります。これが現在の国道43号線で、子供の頃は『第二阪神国道』なので『にこく』です。43号線と呼ばれるようになったのは、ずいぶん経ってからだと思います。  (ここまで引用)

関東で 『一国』 『二国』 と云えば京浜間の幹線道路、第1京浜国道、第2京浜国道、のことで昭和40年ころまではよく使われていた呼称です。
夜霧の第二国道 なんて言う歌も有りました。
第3京浜国道が出来てから、これを 『三国』 と呼ぶことはほとんどなく素直に 第3京浜 と呼んでいたと思います。
京浜国道はひらたく云えば東海道のバイパスです。
国道一号線だから一国か! と閃くのが間違いの元なんです。
東海道に沿って整備したのが国道一号線なのですがバイパスを作った時呼称を変えてしまったのです。
現在は 『二国』 が国道1号線です。
そして古い 『一国』 は国道15号線です。
それなら 第3京浜は・・・466号線。だんだん解らなくなってきました。
旧東海道はもしかすると国道ではないかもしれません。東海道はところどころ一緒になったり別れたりしているようです。

こういう名前の付け方をするとだんだん解らなくなってしまうことに気が付いたのでしょうか?
最近は同じ国道番号の道が有ります。
私の家の近くの国道は新4号とか4号バイパスとか所により呼称が変わったりするから不思議です。もちろん旧4号と呼ばれる4号線も有ります。
名前を付ける方も訳が解らなくなっているのでしょう。

国道の呼称も色々でいい加減さが有るからそれを突く好事家の面白さが有るのでしょう。
国道と云っても車が通れない階段国道339号線(青森県竜飛)や船で渡る海の国道42号線(和歌山市)等も有ります。
さすがに空路の国道はなさそうです。


2013年7月1日月曜日

吉見百穴(よしみひゃくあな)

 吉見百穴へ行ってきました。
埼玉県の北西部、吉見町にある何とも不思議な横穴。
関越道の東松山付近からもチラッと見えます。
よしみひゃっけつ と思っていましたがそれは間違いで 【よしみひゃくあな】 が正しい。
入り口でお出迎えの『よしみん』の看板に よしみひゃくあな の文字がはっきり!
古代人の住居跡と云われていたこの横穴は墓跡でした。
吉見百穴の解説をご覧ください。

*画像をクリックすると大きくなります。

岩山に所狭しと横穴が有ります。大きな山ではなく簡単に登れますが頂上には茶店?の廃虚が有るだけ。
最近まで営業していたように見えますが残骸が散らばりチョット淋しい。早く撤去してほしいなあ!
すべての古代人がこの横穴を掘ったわけではないようです。

のぼり口付近には明らかに様子が違う、車も入れる程の大きな横穴が有ります。通行止めの所もあり、すべてを見ることはできませんが巨大地下トンネルです。
内部は縦横に分かれています。大戦中の秘密軍事工場があったと云うコトです。

珍しい遺跡ですがあまり訪問者は無いようですが、見る価値がある古代遺跡でしょう。
近くには同じような横穴のある山に『松山城址』の看板が有りましたがこちらは全く管理されてないのか大荒れで見ることが出来ないようでした。
私が見たのは大荒れの一部のようです。こちらを参照ください。
http://www.town.yoshimi.saitama.jp/guide_matsuyamajyou.html

2013年6月24日月曜日

またまた白くなったドジョウ

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以前にもお話ししましたが、ドジョウがまた白くなってきました。
多分、以前白くなったのと同じ個体だと思います。
一度白くなって暫くして黒く戻ったのですが再び白くなったようです。
ドジョウは物陰に隠れることが多いのでなかなか全体を撮れません。
白くなった金魚は相変わらず白いままです。
写真で見ると赤い色が残ってるように見えますが実際には透き通ってる感じです。

参考
http://ja1cvf2.blogspot.jp/search/label/%E3%83%89%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%82%A6

2013年6月1日土曜日

梅雨の合間 ピーカンの日光へ

5月29日、関東は梅雨入り、30日は夜になってパラパラと御印の雨が降っていました。
一夜明け31日、どう見ても梅雨空ではありません。先日から行ってみたいと思っていた日光、そうだ日光へ行こう。
朝食を済ませ東北道を北へ。今市から日光街道、杉並木を通り東照宮へ。
いつもなら日光市内で金谷ホテルのパンを買ったりするのですが何も見ず、買わず、おっと途中で漬物を買ってしまいました。
見ざる聞かざる言わざる、日光の猿をまねたつもりですがつまらないと云われるのが落ち!!
9時には東照宮脇の市営駐車場へ。一番客と思いきや数台の先客が有りました。

東照宮では相変わらず眠そうな猫のお出迎え。
なぜに眠いのかは追求しませんが・・・

陽明門の逆さ柱もいろいろ取りざたされますがよく見ないと解りません。

左側の柱の文様が逆になっています。
*写真をクリックすると拡大されます。
東照宮ではそのほか多くの彫刻が楽しめます。



有名な鳴き龍、昔は龍の頭の下付近で各自適当に手を打っていましたが、今は係員が拍子木を打っています。拍子木の大きな音は素晴らしい反響音を響かせ『鈴が鳴るよう』と云う言葉通りの音でした。
龍の絵もきれいで改修されたのではないかと思います。
*係員は昔のままと云ってました。
残念ながら内部の写真は撮影禁止でした。

今回は特別公開と云うコトで五重塔の芯柱が公開されていました。
4階部分の屋根から芯柱が吊り下げられ基礎の上10cmほどが浮いているのを確認できました。この構造はスカイツリーと同じと云う説明です。
芯柱は金色に輝いていましたが撮影禁止です。
他の五重塔は芯柱が固定され上部屋根から建物が吊り下げられているモノが多いとのこと。
ちなみにこの付近の標高がスカイツリーと同じとか。
東照宮についてはこちらのホームページを参照ください。
http://www.toshogu.jp/

いろは坂を登り華厳の滝はパス、中禅寺湖では今まで行ったことがない半月山へ行ってみました。
中禅寺スカイラインで30分ほどのコースです。バス路線も有りますが行き止まりで同じ道を戻ることになります。
あまり見ることのない角度から男体山の素晴らしい姿を見られまっした。
足尾の方にでも通り抜けられれば行く人が増えるでしょう。

ここまで来ると定番のドライブコースは戦場ヶ原を通り抜け湯元から金精峠越えでしょう。冬の間は通り抜けできません。
トンネルは大したことありませんがそれを越えてからヘアピンカーブの連続で観光シーズンは大渋滞になります。菅沼、丸沼、吹割の滝、など名勝があります。
一気に山を越え関越道を走り、より道もせず夕方には帰宅しました。
このコースはとても混雑することで有名です。私の家から350㎞位のコースですが時間を選ばないと混雑のため湯元で泊りになります。



2013年5月25日土曜日

2013日本縦断、列車の旅

新聞のチラシかDMか、列車で稚内から西大山(鹿児島県指宿)まで駆け抜けるツアーの広告が気になっていました。
どこを見ると云うものではなく一日中列車に乗り続けると云う。考えてみればアホと云うかマヌケと云うかとんでもないツアーです。こんなもの行く奴いるか?と思いながらも気になりとうとう電話してしまいました。私も大アホです。ところが、予約はすでに満席、キャンセル待ちで何とか紛れ込んだのです。
私は鉄道好きではありますが”鉄ちゃん”と云われるほどではありません。
でもこんなところが気になるのです。
異車両の連結は東北新幹線では珍しいことではありません。秋田新幹線や山形新幹線がこの方式で走っています。
今回の旅は大宮が旅の始まりです。北へ向かって稚内までとりあえずひたすら走ることになります。
私たちは急ぐ必要有りませんが新幹線で新青森へ向かいます。

こんな写真つまらないでしょうか?新幹線のレールはコンクリート製の枕木にのってるのが普通ですけれどこのような床板に固定されてるところもあります。
折り返し運転の室内清掃中。
新青森からは海峡線・青函トンネルを通って北海道へ。現在工事中の新幹線も同じトンネルを通ります。
本州側には竜飛海底駅があり途中下車することが出来ます。ただし乗車前に途中下車手続きをしないと降りられません。
降りても海の底、水族館のようにマグロが見られるわけでもありません。トンネル内の見学ができます。
駅の外には出られませんから再び次の列車に乗ることになります。
50キロ程の青函トンネルを抜けると函館、長万部、岩見沢、を駆け抜け居眠りしてる間に札幌到着です。
高校生の修学旅行で初めて北海道に来た時、その後で来た時も、青森駅・青函連絡船の長い乗り換え通路を気が付けば乗換客全員が走って渡った記憶がよみがえりました。
大部屋ごろ寝で4時間ほどの船旅は場所取りが大変だったのです。
札幌中央バスも健在。
北海道には何回か来ています、でもこんなことを思い出したのは不思議。
大通り公園のTV塔は大きなビルに囲まれ凄くみじめに見えました。
札幌でこんなものを見かけました。
黄色い消火栓です。 消火栓は赤いモノと思っていたのですが。札幌で一泊。

宗谷本線に入り稚内へ。
稚内に近づく頃 車窓から利尻富士がその姿を見せます。雪はふもと近くまで残っています。
おテントウさまの大サービスです。
滅多に見えないので列車も徐行運転。そのため到着が遅れましたけれど誰も文句を言いません。稚内が終着ですから乗換の心配もないんです。

日本最北端の駅稚内に到着。
北緯45度25分。
戦前にはさらに北、樺太へ渡る連絡船ターミナル稚内本港駅が有った。
バスに乗ってそれを見に行こう。
駅の名残り防波堤で波を避けるように駅が有った。
防波堤の外側は海。
そしてこの最北の地には、今まで知らなかった氷河のなごりがあったことを。
稚内駅を後に指宿へ向かいます。
駅の標識に指宿まで3084キロの表示。実際には隣の西大山駅まで行くので3100キロ以上あると思う。
同じ道を札幌へそして寝台特急で青森へ。

寝台特急はまなす・結構古い車両です。
日本の鉄道では運行距離の関係か?その必要性が無いのか?寝台特急はどんどん廃止されています。
札幌(22:00発)から青森(05:39着)までゆっくり走っておよそ7時間半。普通に走ればもっと早く着きます。途中で列車も眠っていたのか長時間停車していました。
国鉄時代の珍品。耐久性の良いステンレス製ですがこれでは過去の遺物。
特急乗継で秋田、新潟、富山、京都へ。
富山付近は新幹線建設工事の真っ最中。
東北地方から東京を通らない新しいルートが育つかもしれません。
今日は京都で一泊。
せんとくんが奈良から出張してお出迎え!

出発! 京都から新大阪まで こだま で一駅。
新大阪から鹿児島中央までは九州新幹線で一走り。
指宿まで たまてばこ の愛称・不思議な列車。と云っても2両編成。
扉が開くとき煙が出ると云ってましたが煙はお休み。
白髪のおじいさんにならずに済みました。
内部はいろんなタイプの展望座席。予約しないと乗れません。
気になるトイレも広々ゆったり。
指宿のホテル前で勢揃いでお出迎え。
ホテルで一泊。明日は最終目的地、最南端の駅へ行きます。
ホテルのバスで送ってもらいました。
西大山駅・北緯31度11分。稚内駅・45度25分
稚内との緯度の差およそ14度。緯度1度はおおむね110キロです。と云うコトは約1540キロ・・・???
稚内駅には確か指宿まで3084キロと書いてあった。
線路は直線では無いし経度のずれもあるのでおよそ倍の距離になってしまうのか!!
駅にはこんな看板もあります。
最東端の駅、最西端の駅、東根室に佐世保。
この駅も行かねばならない。
また変なものを見つけてしまいました。黄色い郵便ポストが有るんです。民営化のお遊びでしょうか?
・・・・北海道には黄色の消火栓がありました。ポストや消火栓は赤と思い込んでいましたが他の色もあるのでしょうか???
いよいよ帰途につきます。
西大山駅に来た列車ははワンマンカーです。整理券が付いていたり不思議な感じです。
東京でも6両編成の地下鉄がワンマン運転なんですから不思議では無いのかもしれません。
九州新幹線のパンタグラフ付近、風の整流板が付いてます。
東京駅折り返し列車の5分で仕上げる車内清掃、見事なものです。
座席は自動で進行方向に回転します。

作業が終わると、ご挨拶!
荷物棚の天井は鏡になっているので荷物の置忘れがすぐに見えます。
間もなく大宮。旅の終わりです。
5日間の旅でしたが実乗車時間は6000キロ余りを約53時間で走り抜けました。
時間の記録を作るとかそんなことは全く考えずに20種の特急その他に乗り走り回りましたが最新の車両や老朽化の激しい車両など結構楽しい旅でした。

最後の新幹線風景はJR東日本・東京駅の様子です。
新幹線は東京駅以外JR各会社をまたいで直通運転をしています。
東京駅でJR東日本とJR東海とが頑なに改札を設け直通運転を拒んでいる。そしてそのことを云う人はあまりいないのか不思議に思います。
これから開通する、富山、金沢、近辺は東日本と東海の勢力圏が複雑に交差することが予想されます。勢力争いのツケ(不便さ)を乗客に回さないで欲しいです。