2013年1月29日火曜日

ピラミッドと客引きとナイル川 Appendix

ピラミッドはともかく客引きの写真もなくナイル川の写真もちょっぴり寂しくて いろんな神殿や遺跡の写真に至ってはほかの人のコラムにお願いして私の旅日記は終わりです。
世界文明の発祥地として文化遺産の様子を期待した人には何ともつまらない話ばかりと恐縮しています。

このような豪華なホテルと一般の生活格差がとても気になります。
かなり貧しい生活が見えます。


活気ある街の様子

産油国でありながらガソリンも十分にない。革命以来行列しなければ買えません。
それでも街の人たちは元気に生活してるように思えます。
無邪気に手を振る子供たち
子供はどこの国でも無邪気で元気に見えますが観光地では物売りの手伝いをさせられ学校にも行けない子供がいるようです。
教育費は無料といわれてますが生活のため働いている子供が大勢いるようです。

街のパン屋さん
生活の格差やごみ問題はかなり深刻な様子。観光収入に頼る部分は大変大きいと聞きますがお客さんはとても少ないように感じました。

政情不安が消え去っていない中もう良いかと、躊躇しながら旅行会社のパックツアー参加でした。
外務省の安全情報なども見ましたが、はっきり云ってどうしたらよいのかわからない書き方。『十分に注意してください』というのは止めたほうが良いのか悪いのか結局参加しました。
旅行会社は GOサインを出しましたので私もGOと云うわけです。
これは誰でしょう。ゴミが気になります
20人ほどの募集でしたが実際の参加者はなんと7名でした。
応募者も少なかった、そのうえ何人かはキャンセルもあったようです。
こんなに少ないツアーは9.11直後にアフリカへ行った時以来。その時は何と4人でした。

革命以後観光客が激減しているけど戻り始めたとガイドが話していました。
デモや過激派の行動は落ち着いたとは云え私自身気になってずっと先延ばしにしていたのです。

豪華な船上
私たちが使った豪華なクルーズ船、何回数えても観光客は11人しかいません。
どこの観光地もお客さんは本当に少なく見物は快適でしたが当事者は火の車でしょう。
対岸では風船旅行
運よく私たちの旅行中は何事も起きませんでした。
しかし帰国直後にアルジェリアで事件発生です。
それが引き金でエジプト国内においてもデモや暴動が発生しています。
滑り込みセーフと云うところでしょうか。

この政情不安定は一つの国の出来事ではなくイスラム圏全体が連動しています。

こんな状況でも外務省の安全情報は変わりません。
もし出発前にこのようなことがあればキャンセルしたかもしれません。

前にも書きましたが何のトラブルにも巻き込まれることなく楽しい旅をすることが出来ました。
でも海外旅行をしていると日本では考えられないことが起きます。


公園の休憩所
安全・危険・その尺度も違います。
交通や乗り物の安全性はとくに重要です。車が右側通行の国では横断歩道を渡るときにも注意が必要です。左見て右を見ます。
疲れてくると日本式に右見て飛び出してしまうことがあります。
私も経験済みです。
日本の交通マナーも問題ありですが、エジプトはかなりいい加減です。道路には線引きもなく勝手気ままに走っています。馬車なんか縦横無尽どっちへ走るかよくわかりません。
交通事故でケガをすると大変なことになります。想像してみてください。
外出するときは一人では歩かない、パスポートはもちろん、、コピーも用意、大使館、領事館の電話番号、ホテルカードを忘れずに持ち歩きましょう。
街の中には悪い人ばかりではありませんがどこにもスリはいるとお考えください。

今回は、武装警察によって何とか治安が維持されているように感じました。ホテルの外に出かける気にはなれない状態でした。
旅行以外に海外生活をしたことがない私には世間の情報を知るすべがなくインターネットは大袈裟ですが生命線と云えます。
大きなホテルは部屋で使えなくてもロビーやビジネスセンタでnet接続できることが多いです。
もちろん、銃声や警察車両のサイレンなど聞くことはありませんでした。

これでおしまい。  



2013年1月28日月曜日

ピラミッドと客引きとナイル川 その4

旅も終焉に近づいてきました。
馬車に乗ってスークと呼ばれる市場へ出かけました。
庶民の生活に触れることが出来るか??
こう云う現地通貨・エジプトポンド(EP)は入国してすぐに必要なのですが、ずっと米$で済ませていました。
1EPは約15円。後ろのほうに見える薄汚れた紙幣が1EPです。これの実際的価値はどれほどなんでしょうか?
絵葉書10枚セットで1$と売り子が叫んでいます。EPより米$をほしがるようです。米$の基軸通貨の地位はいまだ健在です。
エジプト版ミゼット。
最近売り出されたのでしょうか新しい感じです。
どこの国で作ってるかは不明です。荷台の上乗りは常識!
2輪は非常に少ないと感じました。中国製?がたまには知っています。
これは何に使うかよくわかりません。結婚式かパーティーで使うのか?
**写真をクリックすると大きくなります。
馬車は『そんな所通れるのか』と思う狭い道を人を押しのけ進んでいきます。
商品?を道の真ん中まで広げています。
何に使うのか解らないモノが沢山!
靴屋さんです。
道路で作っています。
ロープや紐を並べています。
『 おいおい通れるのかい 』
『 問題ないよ! 』
ホントは言葉が全く通じません。
この球は何に使うのか?
見ていたら落っこちて来ました。
店番のおっさんが ニヤッ!!
わざと落としたんだ!
布のはぎれ?と不思議な金具?

売っているモノには値札がありません。何事も交渉。
何か欲しそうな顔をしたら客引きが取り囲みます。値札通りに買い物する関東人には難しいです・・・カモになってしまいます。
関西人の出番でしょう。
ここでもロバが大活躍。
おとなしいロバもたまにはびっくりするほど大きな声で鳴きます。
ひひ~ん なんて啼きませんよ。 『 わ~お~ 』 と云う感じ!
どこの国にもある3回廻ると幸せになる彫刻。
柱の上にある亀みたいな彫り物がご神体か?
あまり見かけなかったスフインクスが整列。
遊歩道を整備中です。


いよいよ旅も終わりです。
カイロまで国内線で飛び成田まではエジプト航空の直行便11時間の予定。
往路は14時間でした。
エジプトと云えばピラミッドと遺跡群が有名ですがたくさんのレポートがありますのでここではあまり触れませんでした。象形文字などは昔のまま色がきれいに残っているモノも有りました。はるばる見に行った価値は十分にありました。


チョットだけオマケがあります。
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2013年1月27日日曜日

ピラミッドと客引きとナイル川 その3


エジプトの遺跡は石の文化遺産です。
いろいろ見ているうちにエジプトには材木がないことに気が付きました。小さな木はありますが大きな木は見かけないのです。
大きな木は椰子の樹くらいです。でも椰子の樹は材木としての価値は低いようです。実際に切り倒されたものが道端に放置されていたりしています。木質はスカスカで日本人の思う材木ではありません。
一方で地面はほとんど石灰岩のようです。
そのために重い石材を積み上げても地盤が狂わず大きな構造物を作ることができたのでしょう。
この石積みはいくつかの石を並べています。そのつなぎ目に日本ではチョウチョといわれる蝶が羽を広げた形の穴が掘られそこに接合用の石を嵌めたものと思います。四角い石ではなくチョウチョならどの方向にもずれることがありません。想像ですが隙間には石灰岩の原始的セメントが詰められていたと思われます。
柱などの接合部にも穴が掘られ石が嵌められています。
*エジプトでは縦接合の実物を見ることができませんでしたが同じ石文化のトルコなどで外れ防止の嵌め石を見ています。

この穴は接合の穴ではありません。お解りのように一つの石です。
これは大きな石をこのラインで割ったものです。石目に沿って沢山の穴を開け、日本では鉄のくさび等をを打ち込んで割ります。当時のエジプト人は木を打ち込み水を掛けて木の膨張する力で割ったと聞きました。
その木がどんな木か定かではありませんが椰子の樹かもしれません。木の目が詰まるほどにキツク打ち込めば膨張する力は大きいと思います。そのほか石灰岩の粉はセメントの代用になったと思います。


場所によってはお土産屋さんも整備されています。
残念ながらお客さんがいません。
客引きに取り囲まれるのを嫌って観光客も近寄りません。
写真を撮ったのでチップを要求されるかもしれません。



携帯電話のアンテナでしょうか?
アンテナの根元に日本ではあまり見かけない小さな箱がついています。 アンプかマッチングボックスか?
電話の普及が遅れた国ほど携帯電話への依存が大きいようです。
電線を張り巡らす必要がない携帯電話は便利でガイドも常に現地との打ち合わせに使っています。



ナイル川クルーズの船・私たちが乗船したアマルコ2号です。全長は約70m客室は2F、3F、に50室ほどのスイートルームを備えています。
この船でルクソールへ向かいます。
このような船が300隻ほどあると聞いています。
*全体の姿が見えなくてすみません!

実は、この船には 私たちのグループ7人と外国人4人とグループのガイドしか乗っていなかったようです。
船にはかなりのスタッフがいますから大赤字にはずです。
皆さん既にお気づきと思いますが観光客が異常に少ないのです。
どこの観光地でも写真撮るのに困るほどの人がいません。観光立国のエジプトは今大変な状況なのです。
川岸に停泊するときは横に並べて停泊。間に挟まった船は川側の船が出ないと出航できません。そして景色も見えなくなります。
運よくいつも川側。
でも降りるときはこの隙間に落ちないように。そして隣の船を通り抜けて下船する不思議な感覚です。
下船カードをもらわないと 置いてきぼり になってしまいます。
エスナの水門。
ルクソールへ行くには水位を調整するこの水門を通過しなければなりません。
感覚的には高低差10m以上あるか? この通過には数時間の待ち時間を要すと聞いていたのですが前方に1隻あるのみ。
待ち時間は全くなし。

よかったのか悪かったのか??
この水門通過に時間が掛かるので身動きできない観光客は良いお客。船外から土産品を投げ渡す不思議な買い物姿を見ることが出来ませんでした。
残念!

この船には27MHz帯と見えるアンテナや傾斜して取り付けたアンテナ群、日本のFURUNOががんばっています。
そして丸いドームはインタネットの衛星回線アンテナです。
お蔭でクルーズ中にskypeで日本の友人と長話ができました。
残念ながら回線状態はあまり良いとはいえず途切れることもありました。

修復中の遺跡。
資料を見ながらの作業、ご苦労様です。
エジプトではこんな建築途中の家屋をよく見かけます。
この家は一階はすでに完成し使用状態ですが、2階3階は御覧の通りの未完成。工事も中断。
ある時期、着工すれば住宅建築の税金が減免されることがあったため駆け込み建築が多くあったということです。
それでも資金不足か工事が中断してるらしい。何処の国も政府の思惑はうまくいかないようです。
工法の違いは面白いものがあります。この家は3階の屋根は多分未完成。雨が降ったら大変ですがめったに降らないらしい。
2階の壁はレンガを積んで作ります。鉄筋が通るように穴あきのレンガもありますがほとんどが鉄筋なしのようです。自身が少ないので心配ないのでしょう。

荷物の運搬は日本では常識のトラック。
トラックの上乗りは昔は日本でも有りましたがこんなにひどくはなかった。

馬車やロバ車がたくさん走って??います。
小さいロバががんばってます。積荷はサトウキビ。
此の電柱、今は使われていないのか?よく見ると何本かの電線が仮設のように繋がれてます。ずっと仮設かな?
電柱はそこの柱があったから利用しているのであって碍子もそのまま利用しているだけのようです。
たくさんの碍子は付いているだけ使われていません。

実は、これ昔の電話柱(電信柱)ではないかと思ったのです。日本では1,960年ころ未だ残骸が残っていた装荷型電話ケーブルの名残ではないか?
鉄道線路の脇などに延々と張り巡らせてあった懐かしい電話ケーブルか? まったくの見当違いかもしれません。
同じ形の電柱が線路沿いに3本くらい残っていましたがどれも電線は外されてこれと似たような状態でした。


いよいよ旅は終焉に近づいています。でもつづきます。
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2013年1月22日火曜日

ピラミッドと客引きとナイル川 その2

エジプトは何といってもピラミッドです。
泊まったギザのホテルは夜中に到着したので気がつきませんでしたが大きなピラミッドのすぐ近くでした。 そう思ったのですが近づいてみれば実際には砂漠の真ん中でこんな椰子の樹なんか遙か彼方。
ピラミッドは砂漠の真ん中です。
これは王様の墓所であり権力の象徴でもあります。
エジプトにまつわる遺跡はほとんどがピラミッドに由来するモノで庶民の生活を感じさせるモノはほとんど見かけません。
ピラミッドは各地に沢山あります。
Wikipedia等を参照下さい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88
ピラミッドの表面は階段状のでこぼこが目立ちます。頂上に一部に平らな面が見えます。作られたときは全面が綺麗に磨いた石灰岩の化粧板が張られていたようです。石灰岩といえば大理石と同じ、美しさは想像を絶するモノだったと思います。
内部は狭い通路で急な坂道もあり押しつぶされそうな感じです。

よく見かける砂漠地帯をラクダで旅する景色。ラクダの背は2m以上もあり歩くと大揺れです。見ると乗るとでは大違いです。冗談に云われる『ラクダは樂だ』は大違い!!
乗ったラクダは ガイドが予約してくれたので何事もなく乗れましたが、ラクダの周りは客引きがひしめいており大変です。そのほか何をしてもすぐにチップを要求され気分は良くありません。
早朝の青空は消え、風が強くなってきました。
砂嵐到来です。
息も苦しく、まともに目も開けられません。『ホテルに帰ったら必ずウガイするように』注意されました!
ホントにのどが詰まって真っ黒い痰が出たのにはびっくり大変でした。
こんな写真をよく見かけるので、ピラミッドの付き物はスフインクスと思っていましたが必ずしもそうではありません。
ピラミッドの比べスフインクスの数はずっと少ないようです。
頂上に鉄骨の枠が見えます修復工事中でしょうか、それとも避雷針??
ピラミッド本来の高さを表示していると、ガイドの説明でした。
避雷針と書いてあるガイドブックもあるらしい。
街角の様子。馬車や荷車が自動車とともに走っています。
道路は舗装されていますが線引きなどはほとんど無く自由自在?に走りその間を歩行者がすり抜けています。自転車はほとんど見かけません。
こんな形のピラミッドもあります。
これはわざわざ階段型に造ったピラミッドです。

皆さんお気づきでしょうか?
著名な観光地に観光客の姿がとても少ないのです。
あの革命以来、賢い観光客は消えてしまったようです。この後さらに観光客がいないことを実感することになります。
おとなしいロバは大活躍ですが重い荷物がかわいそうです。
町の人たちの写真はほとんどありません。
実は観光客が来ると客引きがどっと集まってきます。何処の国でも町でもその傾向はありますがここエジプトは半端じゃあありません。取り囲まれて身動きも出来ない状態です。カメラを向けたら、写真撮ったからとチップの要求が凄いです。
このすざまじさには参りました。観光客はしっかりガードして買い物なんかする人はいないのです。
ホテルの売店でもこの傾向は同じです。『これいくら』なんて聞けば売り込みが大変です。『見るだけタダ』なんて云ってますが買わずに帰るのは大変です。
みやげ屋には値札もない所が多く、しつこい客引きで買う気になれないと云うのが本音です。物価は安そう。10枚セットの絵はがきが1$。6.5エジプトポンド程度。実はエジプトポンドはなくても困りません。何処でも米$が通用します。ただし、釣り銭はエジプトポンドで来ることが多いです。
エジプト人も貰った米$ははき出さないのです。 エジプトポンドの価値は怪しい!!

これがエジプトポンドです。
友人の財布の中身を見せて貰いました
左上のよく見えないのが1エジプトポンド、15円程度に相当します。
エジプトポンドは成田でも両替できますが実際にはほとんど必要ありません。

ピラミッドを離れナイル川へ出てきました。
この船に乗って対岸?のホテルへ。
船頭?は3人・帆の上げ下げ、かじ棒の操作、もちろん船外機はありません。
出港するときは大変な忙しさ。沖へ出れば優雅に走りますが・・・初めての経験でした。
アスワンハイダムの堰堤。約4000mあるようです。
詳細は私の怪しい説明よりこちらをご覧下さい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B9%E3%83%AF%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%80%E3%83%A0
アスワンにはもう一つの旧アスワンダムがあります。

アスワンダムで造った電力はエジプト全土で必要な電力の1/4をまかなうと云われています。
それでも原子力発電の計画があるとか。
産油国でありながら革命以後ガソリン不足に悩まされているようです。これが関連あるのかは解りません。
市街地の渋滞は検問、そしてガソリン給油待ちの行列、異様な光景です。アスワンダムの警備は厳重で検問を2回ぐらい通ったと思います。もちろん少し離れた所に屯所があります。



送電線の吊架方式が面白かったのでアップで撮ってみました。
鉄塔は各相ごとに建てていますので3基で一組です。
電圧は??
碍子の数は30個です。 と云うことは計算方法が日本と同じなら 56万ボルト・・・凄いです。
参照
http://ja1cvf2.blogspot.jp/2012/04/blog-post_13.html

エジプトの送電線についてはこんな記事もありましたので参考にしてください。
『エジプトの送電線』
 http://overhead-tml.justhpbs.jp/egypt.html

 http://www2.jica.go.jp/ja/evaluation/pdf/1999_EG-P21_4_s.pdf

さていよいよナイル川クルーズのプログラムが近づいてきました。
船をホテル代わりに使い移動しながら観光します。

つづく その3
http://ja1cvf2.blogspot.jp/search/label/%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88
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2013年1月19日土曜日

ピラミッドと客引きとナイル川 その1

すべての画像はクリックすると拡大されます
エジプトへ行ってきました。
いつものことですが私の旅日記はちょっと目線がずれているかもしれません。美しい観光地の写真はあまりありませんがお付き合い下さい。

成田からカイロへ直行便があるので便利です。それでも約14時間。
21:50成田出発、到着は朝の4時(現地時間)。
そのままバスに乗り込みギザのホテルへ。ホテルの後ろ側には何とピラミッドが見えています。
時差(7時間)も含めて計算では20時間以上も続いた夜が明け、ピラミッドの国エジプトに着いたことをまもなく実感することになります。
私にとってエジプトはやっと念願が叶った 『 いよいよ来たぞ 』 という感じです。今まで何回も計画しては立ち消えの旅でした。
ご承知のように北アフリカ地域は政情不安定な危険区域です。今回は旅行会社が安全と判断した企画ツアーですが、最終的には自分の判断が必要でキャンセルする勇気も必要です。

今回も外務省の海外安全ホームページなどでチェックしましたが『よくわからない』というのが本音です。
http://www.anzen.mofa.go.jp/travel/index.html
今回の目的地エジプトも 「渡航の是非を検討して下さい」 と云う地域になっていましたが 「十分注意して下さい」 に引き下げられていました。


2011年1月に発生したエジプト革命が収束し始めたと都合良く理解しツアーに参加しましたが、そのとき放火された民主党ビルはそのままの状態でした。

それでも一般観光地は一応の落ち着きを見せています。他ではこのような無惨な姿を見ることはありませでした。

夜になってライトアップされたピラミッドを観て、来て良かったと思わせてくれました。

しかし、まだ終結したとは云えないのかもしれません。
現政権も長期安定は難しいと云ってる人もいます。

現実的にこのエジプト革命がきっかけでイスラム圏全体、北アフリカ全体に紛争が広がってしまいました。

旅行者はそれを常に認識していないと逃げ場を失うコトになるかもしれません。
空港や道路、ホテルなど観光客の多く集まる所などでは拳銃ではなく小銃を持った武装警官の姿を見ることが珍しくありません。
観光バスにも常に警察か軍隊かは不明ですが拳銃を持った警備員が同乗しています。
町の出入り口となる道路には至る所に検問があります。このような場所の写真を撮るには勇気が必要です。
検問所には少し離れた所に屯所があり、かなりの装備をもって待機しています。
以前写真のチェックを受けた経験もあり今回は無理をしないことにしました。
 

つづく  その2
http://ja1cvf2.blogspot.jp/search/label/%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88
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