2014年10月16日木曜日

北九州島巡り・目的は軍艦島

九州の北西部は小島の多い所です。
韓国に近い対馬や壱岐、五島列島などは行ったことが有るのですがまだまだ沢山の島々が有ります。無人島も多く、そのすべてを巡ることは困難ですが・・・
今回偶然にも見つけた島巡りツアーに参加してみました。
旅行会社の企画ツアーは盛りだくさんで忙しかったり興味あるところでの時間が短かったりしっくりしないことも有りますが列車や船舶との乗り継ぎが上手にアレンジされてとても便利な部分も有ります。
最終目的地 炭鉱の島【軍艦島】
今回は軍艦島がそのコースに含まれることと便利さに惹かれての参加です。
これから訪問する島々の面白味はその景色だけでは無く独特の文化が有ることです。
古くは中国との関わりが有ります。
そして北九州のこの一帯は江戸時代のキリシタン(キリスト教)禁止令によって隠れキリシタンと呼ばれる独特のキリスト教文化が生まれたところでもあります。
平戸のザビエル記念館

今回のツアーには含まれませんがキリスト教文化・隠れキリシタンに触れたい方は五島列島もお勧めです。
途中立ち寄った九十九島(くじゅうくしま)、佐世保市の西側(西海国立公園)に位置する沢山の小島から成り立つ群島が有ります。
島の数は208島と云われ九十九よりはるかに多くの島が有ります。
秋葉原によく行く私はツクモ(九十九)電機の印象が強く此の島もつくも島と思っていました。ガイドさんに聞いたら同じ字を書く九十九(つくも)島は島原半島の東側でした。
名物の九十九島せんぺいは くじゅうくしませんぺい ・・・頭が混乱してきました。

私の見たかった軍艦島は正式には端島と呼ばれる孤島です。
軍艦島はその島を遠くから見たとき軍艦のように見えるその姿から呼ばれるようになった通称です。
長崎市の南西、長崎半島の先端、野母岬の北側に位置します。
そして隣の高島は軍艦島に関する資料館などが有ります。
上陸には誓約書が必要

軍艦島へはいくつかのクルーズ会社が有るようですがそのどれかに予約をしないと上陸できません。
『カサを使ってはいけない』 とかいろいろ約束事が有ります。
それに対し誓約書をとられます。
*画像をクリックすると拡大します*
島の様子はgoogleのストリートビュウでも見られます。便利になりましたが映像では感じられない部分が有るでしょう。 
*詳細はlinkを参照ください。
https://www.google.co.jp/maps/place/%E9%AB%98%E5%B3%B6%E6%B8%AF%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%9F%E3%83%8A%E3%83%AB/@32.6265739,129.7380875,18.69z/data=!4m2!3m1!1s0x0:0x8367dccd4b9f26c3

船着き場はコンクリートの突堤で外海に面しています。防波堤はありませんので天候が悪いと着岸できません。また船着場から島内に入るゲートには施錠されています。
島内では見学コース以外立ち入り禁止ですが上陸すればその意味が解ります。
建物は老朽化が進みどれも崩れそうなものばかりです。


軍艦島は石炭産出のために構築された炭鉱の島ですが島の原型は小さな岩礁でした。
*詳細はlinkを参照ください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%AF%E5%B3%B6_(%E9%95%B7%E5%B4%8E%E7%9C%8C)
江戸時代には石炭が採れることを知られていたようですがその後開発が進み、日本のエネルギ政策の下、数万人の人口を有する超過密石炭島になったのです。
炭鉱は地下深く海底に広がっていたことは想像できますがこの炭鉱施設の他、家族ともども島内に居住するため幼稚園、学校、生活用品の販売所、宗教施設までも作られていました。
このような島で生活するために水道、電気、生活用品等は本土からパイプラインや船舶による供給のみに頼っていたのです。
九州は台風の通り道でもありますから物資の供給が断たれることがしばしばあったと想像できます。
なぜこのような不便を押して多くの人が住み着いたのでしょう。
炭鉱はとても危険な場所です。
しかし生活のためには社宅や光熱費が無料であったため背に腹を変えられず多くの労働者が住み付いたと思われます。この島は戦前戦後の貧しい時代の遺物なのです。
苦しい仕事でも何事も無ければ結構豊かな生活にみえました。
島内施設に宗教施設と書きましたがハッキリ云えば葬儀場と書くのが正しいように思います。多くの犠牲者が出た島でもあります。それでも島内には火葬場は無かったと聞きました。
朝、『行ってらっしゃい』 と見送ればそれが最後の別れとなることを、多くの人たちが覚悟しての見送りだったのです。

戦中戦後の無理な出炭の結果か、度重なる大事故を経て国のエネルギ政策の転換を迎え閉山となります。

今、島にはだれも住んでいません。
往時をしのぶ沢山の建物は潮風の吹き付ける環境に耐えられず鉄筋コンクリート造でありながら真っ赤にサビて針金のように細くなった鉄筋にやっと支えられている状態です。嵐の度にあちらこちらで崩壊が起こっているようです。
あと10年、20年、の後にはすべてが崩れ落ち、多くの人が命と引き換えに我々の生活を支えてくれたことを忘れてしまうコトでしょう。

今、この命と引き換えの歴史を保存するべきか、真剣に考えている人がたくさんいます。
残り少ない石油、暴れだしたら手に負えない原子力、どうしても採算が取れそうにない再生可能エネルギー、将来のためにどれを選ぶか考えなければなりません。間違えれば第3、第4の軍艦島を作ってしまうコトになるでしょう。 第2の軍艦島はご想像にお任せします。